一見何の変哲もないウォッシュレット。実際何の変哲もないのですが、ワタシ的には世界一のトイレだと思いました。その理由は「おしりターボ」。内容はタイトルどおり想像どおりなのですが、これ、かなりキてますね。
ソース焼きそばにスープを注ぎ、揚げ玉とネギを添える。最初は「ハァ?」です。何でそんなコトしちゃうの?みたいな。美味いはずがないという予想、美味いかも知れないという期待。さて、つゆ焼きそばが応えたのは?
昨24日、急遽出向いた札幌で活躍してくれたマックブックAir。軽くて薄くてコンパクトでバッテリの保ちもスゴクいいです。しかし、それもマックというアクセスポイントあってこその話。しかもマックって100円からなんですね。
北海道ってもっと南にあるべきだと思うのです。せめて雪が積もらない程度に、出来ればあと3千キロほど赤道寄りなら完璧です。雪かきもタイヤ交換も暖房も必要ない冬ってなんて素敵な冬なんでしょうか・・・あれ?
東京行きのバス待ちにぶらり立ち寄った居酒屋。幟と看板に書かれた「煮込み」「ホッピー」という文字に魅せられた、それがアルファでありオメガだったのです。なお、タイトルの長さと中身の充実度はまったく無関係です。
そこは知る人ぞ知る小さな季節のステージ。住宅地に外れにぽつねんと佇む、訪れる人も希な、公園でも広場でもない、ただ四季を映すだけの「舞台」なのです──なんちゃって、本当はと「ある施設」なんですけどね。
富山からの帰路、接続便の関係で余ってしまった時間を使って、羽田空港近くの四川餃子房に立ち寄りました。中国語に不明国籍の言葉、そして日本語少々が交わされる店内は、何気にインターナショナルなのです。
今年の春はとっても「奥手」です。例年なら5月下旬前には散り終えているはずの八重桜は、6月上旬になってようやく散り始め、初夏の陽差しが届き始めた頃、そのピークを迎えたのでした。この写真のように──
フィレンツェ市内中心部の、観光スポットからいささか外れた裏通で見かけたフィアット500(チンクエチェント)です。ご覧のとおり普通にオンボロで、ごくごく当たり前に街並みに溶け込んでいる姿が、とても印象的でした。
ブリティッシュ・エアウェイズ:BAのスト突入。まあ春らしい話題と言えなくもありませんが、今週末、BA以上と評される某航空を使う身としてはあまり笑えません。今年の春はぜんたい、サボタージュがトレンドなのでしょうか?
先日、スーパーでキトビロ(行者にんにく)を見かけました。早いもので今日から3月。街はまだ冬の装いですが、暦の上では立派な春なのです。そして、春はキトビロの香りと共に、というか行者ニンニクの匂いと共に・・・
近頃あまり撮り歩いてません。寒さが身に堪えるせいもありますが、一番の理由はたぶん違います。レンズを向ける、まして人様に向けるということは、ワタシにとって、正直、大変なエネルギーを必要とする作業なのです。
その冬一番の寒さを迎えた、とある日に、冬の終わりが始まります。ただし、それを知るのは冬が終わってから──厳密に言えば、冬と春の境界線を越えてから。問題は、誰もそれを知っちゃいない、ということなのです。
忘れがちですが、生き物にとって、寒さに晒されることは、命の危険に晒されることに他なりません。そんな冬を、人は太古から乗り越え、今もなお乗り越え続けているのです。知恵を振り絞り、時に身を寄せ合いながら。
止むことのない雪に、凍てついた大気の底に沈む街。簡単に言ってしまえばベラボーに寒いのですが、なんだか暖かく感じてしまうってのは、間違いなく気のせいでしょう。でも、気のせいでもいいんじゃないかって、時々・・・
おせち料理を通販で取り寄せるとは、あらゆる意味で時の流れを感じてしまいます。家庭で手間暇かけて作る、そんな時代ではないのでしょう。輸送技術とインターネットの発達が可能にした、新春の味について考えます。
獅子に頭を噛まれると厄よけになるとか、果ては病気にならないとか頭が良くなるとか、薬事法にひっかかりそうな効能まで期待出来るそうですが、この笑顔なら、どんな病気だろうと災いだろうと、一発撃退もんですね。
降らないなら、いっそのこと春まで降らなければいいのに──などと、それが雪を待つ気持の裏返しと気付いてはいるんですが。冬を冬として認識するトリガーは結局のところ「積雪」──変わっちゃませんね、昔から。
2009年もその九割が去り、望むと望まざるとにかかわらず時は過ぎ、気が付けば今年もあとひと月。望むか望まないかで言えば、これはもう断然望まぬこととはいえ、望むと望まざるにかかわらず時は過ぎ・・・以下同文