見慣れたはずの月の姿に見とれしまったのは、本当は見慣れてなどいなかったからでしょうか。そう思えるほど、その日の夕暮れ、空からこぼれ落ちそうくらいに大きくて真ん丸の見事な月でした。それを言い換えると─
目を覚ますとそこは、まだ夢の続きでした。奇妙なことに私は一台の自転車であり、雨上がりの芝の上でごろりと横になり、夢と現(うつつ)のあいだを、揺蕩(たゆた)うように微睡んでいます。いつまでも、ゆらゆらと─
11月6日の冒頭文でも触れた伝説の、三年前の春の衝撃的な邂逅以来、一度も足を向けることがなかった「あの店」から、調査隊が帰還しました。早速持ち帰った試料を検査した結果、驚くべき事実が判明したのです。
超鍛明朗応援率先促進─チアリーディングを漢字で表現するには無理がありますね。でも、間近で見ると、明朗に超鍛とつけたくなるほどの本当に激しい動き。格闘技と思わせるほどの鋭い気迫には、ただただ圧倒です。
11月が割と苦手、有り体に言えばキライという人が意外と多いようです。私はどちらでもありません。暖かくて晴れていて冬さえ来なければノープロブレムです。赤道直下で暮らせたら、きっと大好きになれると思います。
10月25日。ちょっと風は強いものの、まずまずの好天。紅葉の盛りには若干早いのですが、函館市内では数少ない紅葉スポット、笹流ダムを訪ねました。昨夜の雨に何やら予感めいたものを感じたのですが、さて─。
旧戸井線、そして緑園通の終着。物語の終わりに相応しい憂愁の佇まい、それが瀬田来の橋梁です。ここより先線路跡らしきものはありません。橋脚付近に住んでいる奥さん曰く、「見たことないわね。」─だそうです。
壁面を埋め尽くす鏡のような窓が、黄昏に沈みゆく空を一杯に映し出していました。背は低いけど、昔々夢見た未来の建物に似ています。今は21世紀、かつて夢見た未来の世紀ですが、やっぱり今は今なわけで──。
チェーン交換で恐ろしく軽やかになった自転車で、27キロ先のゴールを目指し戸井線跡を辿ります。緑園通では、すでに落ち葉のカーペットが一面に敷き詰められていました。粛々着々と、秋は深まり続けているのです。
函館開港150周年記念イベントの一環として開催された「麺フェスタ」。その目玉は日本最古のラーメンを謳う「南京そば」の復刻です。また、横浜、長崎、頭など、古くからの開港都市を代表する麺の競演も見逃せません。
9月がどうにも苦手です。律儀に毎年やって来なくたっていいと思うのですが仕方ない、それは我慢するとして、次々とモノが壊れるというのはいったい何の因果なのでしょうか。何も私の誕生月に・・・誕生月だから?
視界の片隅を一瞬ニャンコの姿が横切りました。チャリを停め振り返ると、ノラとおぼしき四匹がこちらをじっと見つめています。逃げる気配はありません。それどころか、ニャーニャーとスリ寄って来るではありませんか。
驚きました。函館でフツーにホッピーが買えるんですね。もちろん嬉しいことは嬉しいのですが、東京に行く口実がひとつ減ってしまい、ちょっと複雑な心境です。とか言いつつ、即ゲットしたことは言うまでもありません。
祭りといえば縁日、縁日といえば夜店、夜店といえば・・・焼きそば?たこ焼き?綿飴?
ついつい食べ物系に走ってしまうのは仕様ですが、夜店の王道、祭りの必須アイテムといえば、金魚すくいをおいて他にありません。
車窓から見え隠れする岩木山のシルエット。夕暮れの津軽平野が無常にも通り過ぎていきますが、なにせバスの中ですから。待てども訪れないチャンスに諦めかけたとき、絶景の一瞬がネギを背負って訪れてくれました。
バル─BARのスペイン語読みだそうです。日本におけるスペイン料理の第一人者、深谷さんの発想と実行力、そして思いが、大きな実を結びつつあります。そのことを確かめたくて、バルな街をチャリで訪ねてみました。
たこ焼き「くいだおれ」。函館はもちろん、北海道でもおそらく最古の、伝説の店です。それが宝来町の「たこ焼き太閤」そのものであることを、ご主人の口から聞かされたときには驚きました。いや、本当に驚きました。
「知る」と「識る」の違いは、目で見るか、心で捉えるかの違いだと思っています。彼女に教えたかったのは、そのための言葉とカメラでした。でも、本当に教えなければならない相手は、彼女ではなく私自身かもしれません。
体調が今ひとつで、早めに仕事を切り上げた夕暮れ時。茜色に染まりはじめた空を眺めた瞬間、心がどこか遠くへ連れ去られてしまいました。気がついたときには写真が数十枚増えていたとは、まったく不思議な話です。