08年春のラストショットとなった#320ですが、かなり迷いました。春の最後を飾るに相応しい、爽やかな絵のつもりが、なぜかだかこんな写真を選んでしまったのは、まったく何のお導きなのでしょうか?
昼飯を買いに行く途中、ふと立ち寄った四季の杜公園。雨に濡れる緑のあまりの瑞々しさに、傘を差しつつ、のんびりと撮り回ること30分。と思ったら2時間だったとは、いやあ、お釈迦様もびっくり仰天です。
その子は路面電車に興味を持っているわけでもなさそうです。立ち止まったのは偶然でしょう。それでもちょっと期待してしまうのです。この古びた歴史ある市電の車庫前で、彼の思い出が生まれているのだと。
D300の特性を活かした絵作りに疑問があり、このまま夏を迎えると納得出来ない写真を大量発生させてしまうおそれがあるので夏が来る前に手法を確立させてしまおうという試みの第二弾──つまりはそういうことです。
寒い日が続いていますが、そろそろ夏です。日照時間がお盆よりも長いという事実に軽く目眩を感じる今日この頃、D300で夏を捉えるための特訓中です。が、その成果を見ると、目眩を感じてしまうのはなぜでしょうか。
陣屋桜に法亀寺の枝垂れ桜。好天に恵まれた5月2日、なぜか縁遠かった北斗市の有名どころを「取材」して来ました。途中、知人お勧めの桜並木を訪ねてみたのですが、なんと言ったらよいのか─そうですね、まずは写真をご覧下さい。
人も船も見かけにだまされてはいけません。なっちゃんレラなどと、それはそれで可愛らしい名前だし実際外見だし、でも、このなっちゃんズはただものではありません。「やさしさ」という薄皮一枚の奥に秘められた漢(おとこ)らしさにはすっかり刮目なのでした。
地球温暖化の影響とは思いたくありませんが、例年より10日も早い桜の便りに、青空を見上げるたび気もそぞろの毎日です。久しぶりにチャリで訪ねた五稜郭公園じゃ桜の蕾もご覧のとおり─間もなくです、間もなく桜がやってきます。
私にとって春と言えば「小川・田んぼ・あぜ道」の伝統的三点セットの世界なのですが、小川でも田んぼでもあぜ道でもなくてあまっさえ謎の人も歩いていたりしますが、大野川周辺の春もこれはこれで素敵な風景だと──思いますよね?
子供の頃、屋上で遊んだり写真を撮ったりしていたアパートです。部外者でも出入り自由な、大らかというかおおざっぱな時代でした。無くして気付く大切さ。いや、むしろ、無くさずに気付くことがあり得ないのです。
足を止め、しゃがみ込んで、おまけに目をこらさなければ、一生気づかなかったでしょう。こんな無駄な努力が時にはとても重要─な時もあるのかもしれませんが、悪くはありません。こんなセンスと街が、けっこう好きだったりします。
おぼろに霞む一見穏やかな春の海に、ときおり押し寄せる荒波。津軽海峡に面した突堤の先端で、何かに挑むかのように立つ少女と、それを眺める女性。無関係な二人を引き寄せたのは、単なる偶然だったのでしょうか?
子どもの頃はこんなあばら屋をよく見かけたものですが、今も変わらず朽ち続けているあばら屋があるとは思ってもみませんでした。恐るべきことに、このあばら屋、どうやら現役で使われているようなのです。
アクティブDライティング。ニコンD300に実装された新機能のひとつですが、ど逆光で撮った絵にこれだけの階調があることが信じられません。もはやこれは写真とは呼べないんじゃないのか?近頃けっこうマジメに考えています。
どうやら季節もやる気を出してきたようです。今年一番の陽気となった週末、湯川の海岸では、津軽海峡が久々に穏やかな表情を見せていました。暖かな昼下がり、思い思いの時間を楽しむ人たちの姿こそ、春の景色そのものなのでしょう。
とうとうニコンD300を買ってしまいました。当面の課題は支払いの穴埋め──ではなく、最新ウェポンになじむことですが、撮ってびっくり仰天。噂どおりの凄いヤツに、でも、ちょっと心中複雑です。こんなに簡単に撮れちゃって本当に良かったんでしょうか?
ウチの実家の箱入り娘というか箱入りネコの「ヒバリ」です。まだ1歳にもなっていませんが随分とエラそうです。その名のとおり高いところがめっぽう好きで、性格は気まま・ワガママ・ツンデレ・ヘッポコという典型的なネコ属性の持ち主です。
春の電波が街に溢れ始めました。頑固な雪もユルユルと腰砕け、冬モードだった私の頭もすっかりスッキリスキンチェンジです。ああ、韻を踏みながら横文字使ってごまかすのは止めましょう。春にふさわしい頭にしたい、ただそれだけの動機だったのです。
名のみの春を吹雪と突風で飾った函館。まだまだ冬の装いの街ですが、ときおり吹き荒れるゴーッという風は、まごうことない春一番でした。函館港も大荒れに荒れ、湾岸道路には、ありがた迷惑な春一番の汐吹雪が訪れまくっていました。