一期一絵(Onceshot in Life-time)#441 2009年11月3日:カイス・ド・ソドレのスーパーで買った総額220円ほどの夕食(CHOURISSO VINHO,BRASILEIRO,QUEIJO FRESCO 撮影:2009年10月3日 AT THE ROOM OF HOTEL SETE COLINAS,AV. ALMIRANTE REIS 67,LISBOA,PORTUGAL

人はパンのみで生きるにあらず

街を撮り歩く時は「そこら辺」でパンと飲み物を買い、路上、たいていはコンビニの前で立ち食いしてとっと食べ終えとっとと作業(撮影)を続ける。それは単なる「時間がもったいない」的貧乏性ゆえなのだが、実は外食が苦手というか、あまり好きではないという理由もある。貧乏性というより貧乏がカマボコ状態だからという理由もあって、実は・・・まあ、それはそれとして、全国津々浦々どこへ行ってもパンと飲み物が「そこら辺」で手に入る日本という国はまことに素晴らしいと思う。

人はパンのみで生きるにあらず。それを逆さに読み取れば、パンさえあればさしあたって生きていけるということだ。事実、旅先でのワタシは概ねそんな状況である。あと最低限の野菜とタンパク質とたっぷりの水分とビールがあれば後はいらない・・・それだけあれば充分だと思うが。

写真はある日の夕食。リスボンのホテルの一室、スーパーで買ったパン、ソーセージ、キャベツのポタージュ、フレッシュチーズ、写っていないが白ワインである。ワインを含め全部で300円ほど。ウソのように安くてボリュームがあって、しかも美味い。特にソーセージとパンは、その安さを考慮したらハンパなく美味い。日本のソレと同じ土俵にあがったら、さしずめスーパー大関朝青龍8号とでも呼ばなくてはいけないほどだ。No.8の大関のくせに日本の横綱より遥かに強いのだから呆れる。

人はパンのみで生きるにあらず。でも、この国の住人にとっては、人はパンとソーセージとスープとワインのみ──それだけあればワタシ的には充分なのだが──で生きるにあらずというところなのだろう。一見して豊かとは言い難いその国の、底辺を構成しているであろう豊かな食を垣間見るだけでマリアナ海溝より深く深く考えさせられてしまう。じゃあ自分たちの食ってどうなのよ?と。

撮影データ

2009年10月3日 リスボン、ホテルの一室での「夕食」
パン(BRASILEIRO)、ソーセージ(CHOURISSO_VINHO)、キャベツのポタージュ(CALDO_VERDE)、フレッシュチーズ
(QUEIJO_FRESCO) 購入:PINGO DOCE(CAIS DO SODRE)
NIKON D90 1/20秒 F3.5 75mm(35mm換算)