17日を最後に夏を諦めたかのような夏が、最後の意地を、ほんの少しですがしっかりと見せつけてくれました。ならば応えるのが漢というものでしょう。というわけで、二週間ぶりのチャリで津軽海峡祭を訪ねてみました。
一年越しの仕事がひとまずの決着を迎え、二週間ほどの臨時業務も終了し、未明まで続いた宴も終わりました。家路につく頃にはすっかりと夜も明け、気が付くと、辺りは一面の、深い深い霧に包まれ始めていました。
修理に出していたD300が戻ってきた24日の朝、22℃に設定しているストーブが着火していました。一週間前、湯川の浜辺が海水浴客で賑わっていたことが夢のようです。気がつけば、そんな季節になってしまいました。
お店で料理を撮るとき重要なのが光の確保。セットを組めるのは希で、たいていは自然光とスピードライト一灯で済ませてしまいます。でも、もっと重要なことは、美味しさを識り尽くそうとする、その姿勢なのかも知れません。
「メチャ速いです。」そう語る同僚のNさん。珍しいことに、「ただし」も「でも」も続きません。そのあと一切の保留もなく、ただ静かに力強く断言してはばからない速さを、私もさっそく試してみたのですが──あ、こりゃ速いわ。
何のヒネリもネジレもカーブもシュートもありませんが、ピーベリーのペスカトーレです。本当は別の写真をアップするつもりでしたが、選んでいるうちにお腹が空いてきたものですから・・・ああ、さらに空いてきました。
大きなガラス戸いっぱいに広がる公園の眺望。「名画の一部になったようなひととき」という贅沢を独り占めするという贅沢。函館随一とも言えるロケーションの「ダブル贅沢」には、羨望と憧れを感じざるを得ません。
轟音に振り返ると、旅客機が電線を舐めるようにかすめ飛んできました。函館空港の、ほぼ東西に延びた滑走路の西側は、昔からの住宅地やら繁華街なのですが、湯の川温泉は、文字どおりの隣町だったりするのです。
気がつけば夏の盛りも過ぎ、ズカズカと忍びよる秋の気配に、一抹どころか百抹の淋しさを感じるようになりました。暮れそうで暮れなかったあの祭りの夜のように、いつの間にか夏が、その帳を降ろそうとしています。
この子たちのお母さんが撮っている時はごくフツーのポーズだったのですが、私がカメラを向けた途端、一瞬にして「変身」。ご覧のとおり、指先にいたるまで神経の行き届いた、それはそれは見事な勝利のポーズでした。
暑さ寒さも彼岸まで、とか。お盆を過ぎたら波荒く、とか。認めるつもりはありませんが、まったくそのとおりだった週末の函館。でも、湯の川の海水浴場は、私同様、夏を諦められない人たちで、けっこうな賑わいでした。
旧盆の盆踊り。それは北極の北極熊と同じくらいに馬から落ちて落馬状態なのですが、函館市街では、旧盆ではなく港まつり期間イコール盆踊り、という町内会も多く、識別するために、あえてそう言う場合もあるのです。
我が家から歩いて数分のところにある三軒の直売所、その中でも特にお気に入りの一軒の、もぎたての夏の朝のしあわせ、しめて三百円也です。旬の味覚を、せっかくですから写真で見せびらかしご紹介いたしましょう。
トーゼンのような顔をしてカメラを向けていましたが、実はけっこうドキドキでした。初めての進水式、しかも正真正銘「目の前」ですからね。印象はとにかく「ケ・パドーレ!」。函館どっくの仕事っぷりに座布団十枚追加です。
虎穴にいらずんば虎児を得ず─価値のあるものほど代償(リスク)が高いのは撮影も同じ。そのルールとペナルティを経験から学びとり、生き残らなければ明日は訪れません。簡単に言うと──危ないところでした。
今日(8月9日)の天気をひと言で言えば、二球続けてのボール球を辛抱強く見送って三球目、フル・スイングで満塁逆転ホームラン!ってな感じでしょうか。待ち望んでいたすっきり暑い夏。久々の「ビンゴ!」ですね。
「知る人ぞ知る」かも知れませんが、演技を終えた直後の晴れ晴れとした表情もまた、パレードの大きな見(撮り?)どころ。写真は前回と同じく市立函館病院チーム。思わず「六根清浄」と唱えたくなるような笑顔でした。
今年の港まつりはひと味違いました。例年、大門と本町、それぞれ別々に行われるパレードが、天候の都合で、なんと一緒になってしまったのです。そんなチャンスを見逃すなんてマネ、私にできるはずがありません。
その時その場所に自分が居合わせなかった。それが僥倖に過ぎなかったことを、あとから思い知らされることがあります。一番の僥倖はこの世に生まれ出た事かも知れません。たとえ、一番の不幸がまた然りだとしても。