「なにこれ!?」 妻の素っ頓狂な声に振り返れば、某百貨店のクリスマスケーキのチラシだった。オープン直後に買い求めたケーキの一生忘れがたい味を、記憶の片隅という土中深くに葬り去っておよそ三年。その店が某・エ・タンドゥルとかシュウェット某と並んで載っているチラシを見たら、そりゃ驚く。生き残って、あまっさえここまで這い上がって来たというのかパティスリー・バイゲツ?などと、我が家のスパロウ船長(妻)がゲットしてきたジャック・オ・ランタンのカボチャ顔を睨みつつ一口いただいてみると、これがフツーに美味い。フロマージュはあと味爽やかにクリーミーだし、ワンポイントに使っている梅の酸味と香りと色がとても洒落ている。抹茶ケーキの、ふわっと軽く、それでいてしっとりして弾力に満ちたスポンジと萌草色の生クリームの組み合わせは、いささかありふれているものの、吟味された素材や丁寧な仕事っぷりはパティシェの王道そのもの、姿・味ともにまっとうに美しい。口に含んだ瞬間一斉に花開く、新鮮で濃醇な牛乳の香りなどが特に良い。クリームのまろやかさと砂糖の甘さのバランスもすばらしく良い。一口また一口食べるたびに、今しがたの美味しさが桜散るごとく消えて行く、その潔い後味が小気味良い、などと良い良い良いの連発になってしまったが、なるほど、これなら驚愕のチラシも頷ける。「あのバイゲツとは思えないわね。」
さりげなく失礼な妻のひと言だが、その口調と心は失礼とは正反対のところにあった。わたしも同感だ。あのバイゲツとは思えない。むしろ尊敬に値するかもしれない、とは言わなかったが──ともあれ、抹茶ケーキを食べ終え、彼女はこう宣った。「やるわねバイゲツ。」
三年目の秋、生き残った獅子の子は、二回りも大きくなって千尋の谷から這い上がって来た。
でも、それって成長というより奇跡に近いと思う。
2008年11月6日 函館市赤川1丁目4-16 パティスリー・バイゲツ MAP
NIKON D300 焦点距離75(35mmフィルム換算) 1/50 F3.2 スピードライト使用