ヒモ猫橋(勝手に命名)から約200m、深堀通の横断歩道を渡り有斗高校裏で道の雰囲気が変わる。土手の上を走っていた「線路」は、上り勾配のまま、削り取った窪地の右カーブをゆるやかに進んでゆく。「産業道路トンネル」手前で勾配は下りへと転じ、石垣をかすめるように進むこと200mほど、古いコンクリートの跨線橋をくぐり抜けるや、湯ノ沢川鉄橋をまたぎ、線路は再び陽の降り注ぐ土手の上を走り、河岸段丘に挟まれたわずかな直線を進んだあと、いっそう右へとカーブしていく。おそらくこのあたりが緑園通で勾配・曲率とも一番だろう。もし列車が走っていたら、難所と呼ばれていたことは想像に難くない。本通方面を振り向くと、今しがたの道が左に折れ、昇り、空に消えていた。水色の榎本陸橋と黄色の湯川鉄橋、そして見晴公園トンネルを過ぎたら50m弱で緑園通の終点だ
昭和18年に工事が中断していなければ、本当の終点はあと20km先、戸井町(現函館市戸井町)汐首なのだ。とは言え、もし完成していたとして、青函航路も松前線も大畑線も消えて久しい状況で、戸井線だけが生き残ったとは思えない。だから、荒れ果てることなく早々に生まれ変わったことは、むしろ僥倖だったのかもしれない。これほど大切にされている道であればなおのこと。でも、叶うことなら一度でいいから列車が走る戸井線をこの目で見てみたかった。今とは違う歴史の中、沿線の街並はどんな表情を作り出していたのだろうか。戸井線の車窓からは、どんな風景が広がっていたのだろうか。
緑園通:榎本町の市道を跨ぐトラス式鉄橋