緑園通の概要
知ってる人も意外と知らない その生い立ちや素顔をご紹介します

緑園通ものがたりタイトル

01緑園通と川原緑道

正確に言うと緑園通は深堀町36から湯川3丁目36に至る全長約1.8Kmの歩行者・自転車専用道である。気分的には本通から川原町を抜ける全長数百mの川原緑道とセットであり、途中一般道も含む3km弱を緑園通と呼ぶことが多い。20年ほど前に植えられた木々が沿道を埋め尽くす様は、まさに緑の園の通りと呼ぶにふさわしい。春は桜並木、秋は落ち葉舞う散歩道と、季節ごとに見せる表情はなかなかの艶やかさなのだが、知る人は意外に少ない。周囲には住宅が建ち並び、その住宅も幹線道路から一段も二段も奥まった場所にあり、さらに緑園通を境に分断され袋小路になっているところが少なくなく、そのためか、近隣を通過するだけではその存在にすら気付かないのだ。徒歩や自転車でもそうだから、まして車では、何かのお導きでもない限り、一生気付くことなく人生を終えたとして不思議はない─かも知れない。沿線の家並みという城壁に守られた秘密の花園、それとも緑の結界かとでも言うべきか。緑園通は、それゆえに周囲の喧噪から隔絶された緑の佇まいを今なお保ち続けている。一方で、散策はもちろん、通勤・通学・買い物といった生活道路としての機能も果たしているのだ。この街にとってはもちろんのこと、もしかすると緑園通は、全国の中でも貴重な存在ではないのだろうか。

02元は線路だった道

緑園通りは太平洋戦争中、五稜郭駅と亀田郡戸井町を結ぶ軍事用鉄道・戸井線として誕生した。正確には誕生するはずだった。着工から6年、残すところあと3キロ弱という昭和十八年、資材不足から工事は中断され、結局、一度も列車が走ることなく線路は撤去された。そして1975年、旧戸井線は国から函館市へ売却、緑園通として生まれ変わったのは、その7年後の1982年のことだ。現在、市内近郊にその痕跡を残しつつも、旧戸井線を語る人や資料文献は少なく、多くの市民にとっては知る人もまれな語り草となりつつある。だけど、幼い頃、根崎のグラウンドで、積み上げられたレールの山を見たことを、今でもはっきりと憶えている。その記憶の鮮烈さは、決して幻なんかではなかった。

緑園通・旧戸井線マップ

03緑園通の兄弟たちは今

旧戸井線が市道となってから今年で30年(注:2005年時点)が経とうとしている。一面の湿地帯だった川原町界隈には住宅や商業施設が建ち並び、小魚を採って遊んだ小川も今は遠い昔の思い出だ。2005年、旧戸井線跡:富岡〜昭和(国道5号線)ルートの富岡〜亀田本町が部分開通した。残るルートも2007年に工事が着工。完成の曉には松倉川で分断されたエリアを除いた旧函館市の線路跡が見かけ上つながることとなる。重要な都市機能である交通の利便性は間違いなく高まるだろうし、富岡〜亀田本町の十分な歩道幅員を見る限り、多少なりとも歩行者・自転車優先を考慮してくれているようにも思える。軍用列車が行き交うはずだった線路跡地の第二の人生としては悪い結果ではないだろう。それどころか、緑園通という新しい都市デザインへの挑戦と気概が形作られ、その精神が粛々と育まれているのだ。戸井線という戦争の徒花が、いつか僥倖という実をつける日も、それほど遠い未来ではないのかも知れない。

根崎グランド

撤去されたレールが置いてあった根崎町のグランド

戸井線跡の富岡〜亀田本町間工事

旧戸井線跡 拡張整備された富岡─亀田本町間

04巻頭の写真

緑園通:榎本トンネルの上から見た緑園通