緑園通とは函館市深堀町から湯川3丁目を貫く全長2kmほどの自転車・歩行者専用道。旧戸井線跡をそのまま活用した、その名のとおり深い緑に覆われた静寂な遊歩道だ。起伏のある地形と季節の木々草花が織りなす景観は、住宅地の中とは思えないほど自然に溢れ変化に富んでいる。季節であれば春から夏。桜が咲き始める頃から草葉の緑が鮮やかさを増し、タンポポが咲きほころぶ頃に初夏が訪れる。秋もまた見事だ。ナナカマドの赤い実が彩りを添え始めるにつれ進みゆく紅葉の艶やかさ。11月の声を聞く頃、落ち葉の絨毯が敷き詰められたステージで迎える秋のフィナーレは、まるで映画のワンシーンのように美しい。なのに周囲はごく普通の住宅街であり、往来の多い幹線道路だったりする。深い緑に包まれた結界と生活エリアとのギャップがなんとも不思議な魅力の道である。
線路時代の古いアーチ橋
高低差のある河岸段丘の地形を、できる限り平坦に進むため人間が切り開いた細長い道は、まさに線路そのもの。土手の道、谷あいの勾配、小さなトンネルや古いコンクリートの跨線橋、吊り橋、立派なトラス式の跨道橋、アーチ橋など、わずかの距離にこれだけの風景が凝縮されている。十メートルに満たない湯の沢川鉄橋をわざわざ吊り橋にしたり、市道を跨ぐ榎本鉄橋を美しくも複雑なトラス橋にしたり、湯の川のミニ鉄橋を優雅なミニアーチ橋にしたり、実物大の鉄道レイアウト模型を模したとしか思えない作りこみが施されていたりする。その遊び心と、ニッチと言えなくもないセンスには脱帽だ。自転車で軽く流してみると実感できると思う。【車窓】を流れ去る風景に、気分はすっかり「戸井線快速湯川行」なのである。
深堀エリアの並木道
先進的な都市デザインとして生まれた道が、大きな改修をすることなく四半世紀生き続けている。その事実が痛快だ。沿道はごく普通の住宅地であり、交通量の多い幹線道路にも接している。学教エリアでもあり、朝夕は通学に使う学生も多い。遊歩道のような緑園通だが、生活の道としてもちゃんと機能し続けているのだ。ただ、改修らしい改修も施されていない道がどうやって今のコンディションを維持しているのか、あらためて考えると不思議である。負荷の大きい一般道とは比較にならないが、丁寧に作られているのだろう、くたびれた雰囲気があまりないどころか、生活道路にしてはいつも楚々として空き缶や吸い殻なども目にすることが少ない。おそらく大切にしてきた人たちが居て、今も大切にされているのだと思う。日々の暮らしの、これがひとつの積み重ねだとしたら、ちっぽけだけど、なんだかとても素敵な物語ではないか。
道路としての基本性能が「安全・スムーズ・バリアフリー」だとして、「充分な幅員があって見通しが良く障害物もなく段差もない道」が模範回答とするならば、緑園通はおそらく落第だし、川原緑道にいたっては「留年状態」とさえ言えるだろう。実際に緑道を自転車で走ってみると「緊張するほどではないが漫然とは進めない」というスイッチが無意識に入るのがわかる。では、緑園通が走りづらく危険かと言えば、むしろその逆だ。単調とは反対のベクトルの道を、適度な緊張感を保ちながら走ることを言葉にすれば「快適」としか言いようがない。単調な道よりよほど安全でもある。緑園通の深堀エリアの一角に目立たない看板がある。そこには、「街づくりの新しい試みとして、歩行者と自転車の為にだけ作られた道路」とある。その言葉を噛みしめながら緑園通を行くと、さまざまなメッセージが伝わってくる。ここでは多くを語らないでおこう。ただ、緑園通にはひょっとすると、「人間らしい暮らし」という求めて止まない「幸せの青い鳥」を捕まえるためのヒントが潜んでいるかも知れない、とだけ言っておく。その続きを知りたかったら、ぜひ緑園通を訪れて自分の目で確かめて欲しい。戦争という人禍の徒花が生んだ元鉄路が、人の手によってこれほど楽しい道に生まれ変わった、その物語を考えてみて欲しい。そう簡単に見つかるような青い鳥ではないけれど、緑園通ならきっと足跡くらいは見つけられるだろう。私はそう信じている。
緑園通:有斗高校裏の標識